中小製造業の脱炭素経営:省エネ設備投資でコスト削減と従業員の働きがいを向上させた事例
導入:持続可能な成長への一歩、中小製造業が直面する課題を乗り越える
多くの中小企業経営者にとって、サステナブル経営への関心は高まりつつある一方で、具体的な取り組みとなると、初期コストや従業員への負担、そして何よりも「本当に成果が出るのか」という点で懸念を抱かれる方も少なくないのではないでしょうか。特に製造業では、エネルギー消費量が多く、設備の更新には大きな投資が必要となるため、一歩踏み出すことに躊躇しがちです。
しかし、適切なアプローチと計画により、サステナブルな取り組みはコスト削減や生産性向上といった経済的利益だけでなく、従業員のモチベーション向上、企業イメージの向上といった多角的な成果をもたらします。本稿では、ある中小製造業がどのようにして省エネルギー投資を進め、「脱炭素経営」を実践しながら、企業価値を高めていったのか、具体的な事例を通じてご紹介いたします。この事例が、貴社のサステナブル経営への第一歩となる示唆を提供できれば幸いです。
事例詳細:老舗精密部品加工メーカー「日向精工」の挑戦
企業概要と取り組み前の課題
今回ご紹介するのは、従業員約30名、創業50年を超える精密部品加工を営む「日向精工」の事例です。同社は長年にわたり培ってきた高い技術力で地域経済を支えてきましたが、近年、いくつかの課題に直面していました。
第一に、生産設備の老朽化です。長年使い続けた設備は高稼働を続けていたものの、消費電力は大きく、電気料金の高騰が経営を圧迫していました。また、旧型設備特有の騒音や熱、振動は、作業環境の悪化を招き、従業員の負担となっていました。
第二に、若手人材の確保難です。労働人口の減少や、若者の製造業離れが進む中、同社も例外なく人材確保に苦慮していました。特に、古い設備の作業環境は、現代の若者にとって魅力的に映らず、採用活動において不利な状況にありました。
このような状況の中、同社の経営層は、ただ旧型設備を使い続けるだけでは企業の持続的な成長は見込めないと判断。電気代の高騰という経済的課題と、作業環境改善による従業員満足度向上という社会的課題の両方を解決するため、省エネルギー化を軸とした「脱炭素経営」への転換を決意しました。
具体的なサステナブルな取り組み内容とその実施方法
日向精工が取り組んだ主な内容は以下の通りです。
- 高効率設備の導入:
- 実施内容: 特に消費電力の大きかった切削加工機や研磨機など、基幹となる生産設備10台を最新の高効率モデルに順次更新しました。新設備はモーターの高効率化に加え、インバーター制御による電力最適化機能が搭載されています。
- 背景: 稼働時間が長く、電力消費の大部分を占める基幹設備から着手することで、最大の効果を見込みました。
- LED照明への全面切り替え:
- 実施内容: 工場内すべての蛍光灯および水銀灯をLED照明に切り替えました。
- 背景: 照明は工場全体の電力消費の約15%を占めており、比較的初期投資が抑えられ、かつ効果が早期に現れやすいことから優先的に実施しました。
- 空調設備の最適化と省エネ運用:
- 実施内容: 旧式の大型空調機を高効率パッケージエアコンに更新し、さらに工場内の熱源を分析。断熱材の追加や排熱設備の改善を行いました。従業員には、クールビズ・ウォームビズの徹底、休憩時の消灯など、省エネ運用を促す啓発活動も行いました。
- 背景: 夏場の熱中症対策と冬場の暖房は、電気代に大きく影響するため、設備と運用の両面からアプローチしました。
- 従業員を巻き込んだ省エネ意識の醸成:
- 実施内容: 新設備導入前に全従業員を対象とした説明会を開催し、省エネ化の目的(コスト削減、環境負荷低減、作業環境改善)を共有しました。また、従業員から省エネに関するアイデアを募る「改善提案制度」を導入し、採用された提案には報奨金を設定しました。
- 背景: 設備投資の効果を最大化するには、日々の運用における従業員の協力が不可欠であると考えました。
導入プロセス、かかったコストと運用上の負担
日向精工がこれらの取り組みを導入するにあたっては、計画から実行まで約2年を要しました。
1. 計画と資金調達: * 省エネ診断の実施: まずは専門業者に依頼し、工場全体のエネルギー使用状況を詳細に診断してもらいました。これにより、どこにどれだけの電力ロスがあるのか、どのような設備投資が最も効果的かというロードマップが明確になりました。 * 補助金制度の活用: 初期投資が最大の障壁であると認識していたため、「中小企業庁の省エネ補助金」や「環境省のCO2排出削減設備導入補助金」など、複数の制度を調査し、積極的に活用しました。結果として、初期投資の約30%を補助金で賄うことが可能となりました。
2. 設備導入と従業員への配慮: * 初期コスト: 総額で約5,000万円の初期投資となりました。内訳は、生産設備更新に約4,000万円、LED照明に約500万円、空調設備等に約500万円です。補助金を除いた自己負担額は約3,500万円でした。 * 導入期間と負担: 設備の入替作業は、生産ラインを完全に停止させる期間を最小限に抑えるため、長期休暇期間や週末を活用して段階的に実施しました。この期間、従業員には通常業務に加え、新設備に関する研修や作業習熟のための時間を設ける必要がありましたが、丁寧な説明と「より良い未来のため」という共通認識のもと、大きな不満なく協力を得られました。 * 運用上の負担: 新設備の導入後は、操作が簡略化され、メンテナンス頻度も減少したため、従業員の運用上の負担はむしろ軽減されました。また、エネルギー管理システムを導入したことで、電力消費状況が可視化され、異常値の早期発見や省エネ目標達成に向けた意識付けに役立っています。
取り組みによって得られた具体的な成果
日向精工の脱炭素経営への取り組みは、多岐にわたる具体的な成果をもたらしました。
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大幅なコスト削減:
- 電気代の削減: 設備更新とLED化、空調最適化により、年間で約25%の電気代削減を達成しました。金額にして年間約300万円の削減です。これにより、自己負担した初期投資額は約12年で回収できる見込みです。
- メンテナンスコストの削減: 新設備の導入により、旧型設備で頻発していた故障が激減。年間約50万円かかっていた修繕費がほぼゼロになりました。
- 廃棄物処理費の削減: 新設備導入による加工精度向上と不良品率の低下により、年間約10%の材料ロス削減、および産業廃棄物処理費の削減にも繋がりました。
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生産性向上と品質改善:
- 作業効率の向上: 新設備の導入により、旧設備比で加工時間が平均15%短縮されました。これは生産能力の向上に直結し、受注増への対応力を高めました。
- 製品品質の安定: 最新設備の高い加工精度により、製品の不良品率が以前の約半分に減少しました。これにより、顧客からの信頼がさらに向上しました。
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従業員のモチベーション向上と労働環境の改善:
- 快適な作業環境: LED照明により工場全体が明るくなり、旧設備特有の騒音や熱も大幅に低減されました。これにより、従業員から「作業がしやすくなった」「集中力が増した」といった声が多数寄せられました。
- 安全性の向上: 新設備には最新の安全装置が標準装備されており、作業中の事故リスクが大幅に低減されました。
- エンゲージメントの強化: 経営層が従業員の意見を聞き入れ、より良い職場環境作りに取り組んだ姿勢は、従業員の企業への愛着(エンゲージメント)を高めました。改善提案制度を通じて、自らのアイデアが採用される喜びも、モチベーション向上に大きく寄与しました。
- 採用への好影響: 企業の取り組みが地域メディアで紹介されたこともあり、「環境に配慮したクリーンな工場」というイメージが定着。新卒採用において、例年よりも多くの応募があり、質の高い人材を確保できるようになりました。結果として、過去3年間で離職率は5%低下しました。
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企業イメージの向上と新たなビジネスチャンス:
- 社会的信頼の獲得: 環境負荷低減への積極的な姿勢は、取引先や地域社会からの評価を高めました。特に、大手企業からの新規取引において、サプライチェーン全体の脱炭素化を求める動きがある中で、日向精工の取り組みは大きなアピールポイントとなりました。
- 事業領域の拡大: 省エネ診断や設備選定のノウハウが蓄積されたことで、将来的には他の中小企業向けに省エネコンサルティングサービスを提供する可能性も検討され始めています。
結論:中小企業がサステナブル経営を始めるための示唆
日向精工の事例は、中小企業においても、サステナブル経営が単なるコストではなく、むしろ投資として大きなリターンを生み出す可能性を示しています。この事例から、他の企業が学び、自社に取り入れるべきポイントは以下の通りです。
- 現状把握とロードマップの作成: まずは専門家による省エネ診断など、自社のエネルギー消費状況や課題を正確に把握することが重要です。これにより、どこから着手すべきか、どのような投資が最も効果的かという具体的な道筋が見えてきます。
- 補助金制度の積極的な活用: 初期投資のハードルを下げるために、国や地方自治体が提供する省エネ・脱炭素関連の補助金制度を積極的に調査し、活用を検討すべきです。多くの制度が存在し、中小企業向けの手厚い支援もあります。
- 従業員の巻き込みと意識醸成: 設備投資だけでなく、日々の運用における従業員の協力が成功の鍵を握ります。取り組みの目的を共有し、意見を募ることで、従業員の主体性を引き出し、モチベーション向上にも繋がります。
- 経済効果と非財務的価値の多角的な評価: 省エネ投資は電気代削減という直接的な経済効果だけでなく、生産性向上、従業員の働きがい向上、企業イメージ向上、新規顧客獲得といった非財務的価値も生み出します。これらの相乗効果を長期的な視点で評価することが、経営判断において重要となります。
日向精工の事例は、初期投資という課題を乗り越え、従業員と共に未来を創り出すことで、企業がより強く、より持続可能になることを示しています。サステナブル経営は、これからの時代を生き抜く中小企業にとって、避けては通れない道であり、同時に新たな成長機会をもたらす羅針盤となり得ます。まずは現状の小さな課題から、一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。